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アラン・レネ『去年マリエンバードで』

2011/11/02by GX750

 物事の始まりを皮切りと言いますね。《始めて据えるお灸は皮膚が切られるような痛みを感じる》ことからきている言葉なのだそうです。私はとある映画との出会いをきっかけとして、映画の世界に魅せられてしまいました。アラン・レネ『去年マリエンバードで』。まさに皮切り、あの映像美と不可思議な構成が織りなす衝撃に痛みすら覚えたわけです。

「ちょっとカツオ!こっちにきなさい!」「な、なんだよ姉さん、こんなに朝早く」

モンタージュという言葉をご存知でしょうか?『去年マリエンバード』の中でふんだんに盛り込まれた映画の技法です。この技法のことを知っていると、映画をもっと楽しむことができます。エイゼンシュタインやグリフィスがこの手法を大成させたことで知られていますね。この技法、ものすごく乱暴に言ってしまえば、ショット(シーン)とショットを時間や空間概念を無視して繋ぎ合わせてしまうことです。『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段シーンが最も有名でしょうか。軍隊の忍び寄る足と民衆の怯える顔、それが 交互の映し出されます。これがモンタージュです。モンタージュの発明によって、映画は全く新しい表現の地平を切り開いたのでした。(それまで映画は時間軸に沿って展開する小説や演劇の域をなかなか出ませんでした)

「あんた、お父さんの大事な鉢を割ったでしょう?」「し、知らないよ、姉さん。僕じゃないよ」

《ショットとショットのぶつかり合いが新しい意味を生み出す》そんなことを言ったのはエイゼンシュタインでした。『去年マリエンバードで』という映画はモンタージュそのものです。アラン・レネはモンタージュを見せ場の一つとしては扱わず、それによって映画を一本作り上げてしまったのです。こんな実験的なものを公開するなど現代でありえませんが、映画、音楽、小説そういうものすべてが新しいものを求めていた60年代、アヴァンギャルドなものは割と普通でした。

「ウソおっしゃい」「い、痛い、痛いよ、姉さん」「カツオ、カツオ!カツオ!!

えー、文章と文章の間にサザエさん的なやりとりが挟み込まれています。もうおわかりかと思いますが、これこそがモンタージュです。よく《意味のわからない映画》というものがあります。そういうものはモンタージュによって時間と空間がねじ曲がっているために、わかりにくくなっているものが多いです。そんなとき、「知らないのー。あれはさー、モンタージュって言って…」と友達に御託を並べると嫌われるのでやめた方がいいかもしれません。

このブログの一番はじめに『戦艦ポチョムキン』のことを書きましたが、その中でこの映画のことを臭わせる文章を書いていたので、今更ながら伏線を回収してみました。

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アルネ・ヤコブセンのカトラリー

2011/08/23by GX750

 つい最近「初給料で両親に何をしてあげたか?」という話が社内で出たんです。私は「初給料でお世話になった両親に何かする」という考えすら浮かばなかった親不孝者です。その話をした後、「今度実家に帰るときはおいしい旬の魚でも買って帰ろう!」と思ったものの、そんなこともすっかり忘れて手ぶらでお盆に帰省したバカ者です。これを書いている今、「今度こそ何か買って帰るぞ!!」と思っていますが、三歩歩いてお酒を飲むときっと忘れてしまう大バカ者です。

えー、さて、初給料で何を買ったかは全く覚えていませんが、初めて貰ったボーナスで買ったものは今でも忘れません。何しろ使わないときでさえ棚から出しては眺めて悦に入り、ヨダレを垂らしてしまう宝物です。アルネ・ヤコブセンという人がデザインしたカトラリーです。まずはご覧ください、この洗練された美しさ。

このデザイン、ミニマリズムの極致、普遍性を獲得した時代を超える逸品です。信じられますか、コレ、1957年にデザインされているんですよ。オーマイコーンブって感じですよね。(←知ってますか?)私はまったくもって信じられません。更に驚くべきことに、これはとあるホテル向けにデザインされたものなのです。

小説や絵画とは違い、何かをデザインするという行為にはクライアントの思惑や考え方、好みが多分に反映されますよね。50年代のホテル向けとなると、高級感を出すためにゴテゴテしたデザインが要求される場面があったかもしれません。そこであえてコレ、このデザイン。ヤコブセンのセンスや使いやすさを追求する姿勢はもちろん、いらないものを退ける心の強さ、透徹した意志を感じさせます。芯のしっかりしたものはどんなものであれ、時代に左右されない強さを自然と備えてしまうものなのですね。

舞台で仕事をしていると、大変な数のスタッフが関わっていることに驚きます。多数の出演者やスタッフをまとめあげる人がいるわけですが、やはりそういう方々は何かが違うのですよ。オーラが出ているんです。人柄、知識、話し方、身のこなし、意志、そういうすべてが『オーラ』なのでしょう。最良のものを人々に提供する、その想いは舞台もデザインの仕事も変わらないですね。

今度こそ「両親に何かを買って帰る」という強い意志をもって帰省しよう、そう心に決めて今晩はお酒でも飲もうと思います。

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高野文子『黄色い本』

2011/07/07by GX750

 

やはり煮付けですよ。秋から冬にかけてが旬だと言われているので、熱燗との相性は抜群です。ただ、いかんせん高価な高級魚というイメージがありますよね。あんなにおいしいのに、庶民がそう簡単に手を出せないのは残念です。深海魚なのであまり数が獲れないのでしょうか。いきなり何言ってるんだ?という感じですが、きんきです。いつも天気の話題から入っているので、今回はきんきの話から始めました。

さて、数がないといえば高野文子の漫画です(いろいろ強引)。あれほどの質を保つには、やはり寡作になってしまうのでしょうか。ただ、あまりにも密度が高いので何度読み返しても楽しめます。個人的に好きなのは『黄色い本』という単行本の表題作、小説好きにはたまらない世界が広がっています。

私は想像力が欠如しているためか、どうも昔から小説の登場人物というものをイメージすることができません。が、そのかわり活字そのものが強烈に目の前の世界に浸食してきます。重いものを読んでいると、日常生活と読んでいるものとの乖離がひどくなって「うわーっ、どこにいるんだ自分、今」となったりします。とはいえ今ではそれも少なくなりました、大人になったものです。『黄色い本』はそういうかつての活字体験が淡々と描かれているようで好きです。重くのしかかる言葉の数々が当たり前の日常に入り込む瞬間、その描き方は尋常ではありません。

確かフォークナーだったと思いますが、彼はひどい活字中毒者で電話帳から奥さんの買い物メモまで、家にあるものは何でも読んだそうですね。重度のアルコール中毒であり活字中毒でもあった彼がいったいどんな世界を見ていたのか、ものすごく興味深いです。過去と現在とが交錯する彼の描いた世界が、極めて現実的なものだったのではないか、そんなふうに思ってしまいますね。

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アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』

2011/05/27by GX750

 えー、すっかり夏日が続くようになった今日このごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか?いやーな季節が足音をたててゆっくり近づいていますね。梅雨です。洗濯物は乾かないし、パンにカビは生えるし、蒸し暑くて眠れないしで梅雨は嫌いです。でも雨そのものは嫌いではありません。というか好きです、いや、好きになりました。

もともと大嫌いだった雨が好きになった理由はいろいろありますが、転換点はタルコフスキーの『ノスタルジア』という映画を観たことです(というかよく考えると理由はそれだけでした)。その中で窓ガラスに雨の水滴が滴るシーンがあります。本当にただそれだけを執拗に写すんです。見慣れているはずの雨の雫が、いつの間にやら潤いを含む珠のようにも見えてきます。これこそがタルコフスキー・イリュージョン(適当な造語)です。そしてその一粒一粒が雨嫌いの心を穿ちました。

その昔、ドモホルンリンクルが一滴一滴たれるのを見るだけの仕事、というのをテレビでやっていましたね。ちなみに学生時代、ベルトコンベアにのって流れてくる納豆(白いケースに入ったやつ)をひっくり返すだけの仕事をしたことがあります。夜の10時から朝の8時まで、ひたすらひっくり返します。朝方5時ぐらいになると弥勒菩薩が菩提樹の下に立っているのが見えました。本当です。そういえば支給される食事には、必ず納豆が添えられていましたね。今となっては素敵な思い出です。

さて、脱線しましたがタルコフスキー『ノスタルジア』、少しでもこの季節を楽しむためのお供に、いかがでしょうか?

 

 

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ミゲル・コアン『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』

2011/05/04by GX750

先日発生しました東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしますと共に、被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。

まだまだ余震は続いており、原子力発電所の事故により不安な状況は続いています。ですが、《普通に生活して、普通に経済活動すること》が日本の復興に力を与えるのでは?と思ったりもします。(都内で細々と生活している私にとってはなおさらです)そして日常が自粛や節約という制限を受けたとしても、心だけは明るくありたいですね。

《ただ歳をとる者と、若さを重ねる者がいる》と言っていた人がいました。『アルゼンチンタンゴ  伝説のマエストロたち』というドキュメンタリー映画に出てくる一人です。その中に登場する人たちの誰もが、若さを失っていませんでした。(出てくるのは1930〜40年ごろのタンゴ絶頂期に活躍されたかなりご高齢の人たちです)移り変わりの激しい音楽業界、想像を絶するほどの苦難を乗り越えてきたのだと思います。それは顔に刻まれた深い皺が物語っていました。ところが、それを払拭するほどの陽気で清々しい笑顔がそこに光っているのです。

暗くなりがちな昨今、《若さを重ねる》日常を送りたいものです。そのために何が必要かと考えるとき、私に必要なものは音楽や映画でした。(あとアルコールとスルメイカと枝豆、チョコレートにアイス、それにデリ←実家の愛犬とコーヒー……)震災により芸術や文化に関わる業界は甚大な影響を受けました。しかしながら、日常に盛り込まれるそうしたものこそが、旺盛な経済活動を促して日本の復興へとつなげるような気がしてなりません。

浅草の『ほうずき市』は終戦直前の焦土でも開催されたそうですね。作家の池波正太郎はそれを聞いて生きる希望を持てたのだそうです。 

 

 

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スタッフ一同よりすべての方々へ

2011/03/16by GX750

今、日本は未曾有の危機に曝されています。

一刻も早く生存されている方々が救出されることを願い、被災した方々の安らかな休息がいち早く訪れることを願ってやみません。

そして今回の地震で命を落とされた多くの方々に対して、心から哀悼の意を捧げます。

 

スタッフ一同

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サミュエル・マオズ『レバノン』

2011/02/28by GX750

 皆さんはお正月、映画は何かご覧になったでしょうか?私は『キック・アス』(最高でした)と『レバノン』を観ました。『キック・アス』は観た方も多いと思うので『レバノン』のことを。ちなみに前々回で『戦場でワルツを』という映画をとりあげましたが、私は中東情勢に詳しいわけでも何でもありません。単なるそこらの若者です。

この映画は1982年のイスラエルによるレバノンの侵攻を描いたものです。一台の戦車の中でせめぎあう《兵士らしからぬ兵士の姿》と《戦車の主砲の照準を通して見る》壮絶な光景がこの映画の肝です。この二つの要素が徹底的なリアリズムを生み出しています。ストーリーの柱になっているのは砲手の動向で、気の弱い彼が大砲を撃たざるを得ない状況、それが戦争というものの姿をあぶり出していきます。これを観ていてふと思いました。「そもそも大砲は砲手が撃っているのか?」

前に実存主義者サルトルのことを書きましたが、その思想に真っ向から対立したのがレヴィ=ストロースらを中心とした構造主義者です。人間は様々な状況や環境によってその存在が決定されている、というのが構造主義の基本的な考え方です。大雑把に言ってしまえば、家族構成とか国とか民族とか使用する言語とか、そういう無数の要素が一人の人間をある程度の枠組み内に入れてしまうということですね。

今回のこの映画で言えば、《砲手がトリガーを引く指》というミクロな世界の中に、国家の思惑、民族の歴史、宗教観などなど、無数のマクロな問題が詰まっているというわけです。兵士の弱気な性格というのはとても象徴的ですね。

えー、何だか尻切れトンボですが、これ以上書くと収拾がつかなくなりそうなのでこの辺で。あとは皆さんご覧になってください。彼の指先に世界が見えます。

 

 

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フランク『ヴァイオリンソナタ イ長調』

2011/01/25by GX750

明けましておめでとうございます。本年もお時間があるときはぜひとも当サイトにお立ち寄りください。

えー、普段は仕事でどっぷりとオペラに浸っている私ですが、実は室内楽のファンだったりします。その中でも特に好きな曲の一つがフランクのヴァイオリンソナタです。この曲が好きなら外せないティボーの演奏からデュメイあたりまで、結構な量のアルバムを揃えました。特に良く聴くのはカントロフの録音とボベスコの録音です。(ティボーの録音はあまりにも古いので私にはちょっとツライです)それが最近になってもう一人加わりました。ピエール・ドゥーカンです。

ドゥーカンはフォーレのヴァイオリンソナタの演奏で名高いそうですが、フランクの方もすばらしい。派手さや虚飾は一切削ぎ落とされ、鍛えられた低めの音がググッと身体に切り込んできます。第4楽章の盛り上がりも抑制がしっかりときいていて、まるでブレません。それなのに、曲のイメージはしっかりと伝わってくるんです。おそらく彼は演奏家としてだけでなく、人間としての精神が非常に安定していたのではないか、そんなふうに思ってしまいます。(ここまで書いて誰かに似ているなと思ったらアノ人です、スナフキンです、ムーミンの)

《空気読め》などとよく言われる今の日本、自分の信念を曲げずに生きるのもなかなか大変です。彼の演奏のようにブレずに生きてみたいものですね。どうやって根を張ったらいいのか、それすらわからない私にはまだまだ先の話のようですが……。

 

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アリ・フォルマン『戦場でワルツを』

2010/12/27by GX750

 早いものでこのホームページがリニューアルされて半年になります。事務所の窓から見える木々の葉の緑も、今では落ちて寒々しい景色へと変わりました。年の瀬も近づいて改めてこのブログを見返してみると、どうも私は古いものばかり取り上げている気がしてなりません。なんだか偏屈な人のような印象を与えてしまう気がするので、今回は比較的新しい映画のご紹介です。

イスラエルの監督アリ・フォルマンの『戦場でワルツを』です。2008年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたことでご存知の方も多いかもしれません。ドキュメンタリーをアニメーションで表現した意欲作です。

ドキュメンタリーをアニメーションで表現することに意味があるのか、と思われるかもしれません。しかしながら、曖昧な記憶を辿る旅、そこでの人々の話から見えてくるイメージの数々は、アニメーションでこそ表現できるものでした。また、戦場という極限状態の中での現実感の喪失や幻想は二次元の方が《現実的》です。更に実写ではなかったからこそ最後の映像を観た瞬間、その凄まじい現実が観るものの胸に迫るのでした。

映画がある種の行き詰まりをみせていると言われています。3D映画なんかはそうした現状を打破するための一つの手段なのかもしれません。ところが、今回のような映画を観ると、もっと単純な方法で人の心に訴えかける表現がいくらでもあるような気がします。21世紀に新しい表現方法の可能性を示した優れた1本です。

 

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クシシュトフ・キェシロフスキ『デカローグ』

2010/11/29by GX750

「もう今年も終わりですねー」いよいよそういう会話が交わされるようになりました。だんだんと寒さも厳しさを増しているようです。私のようにぼんやりと日々を過ごしていると、本当にあっという間に一年が過ぎてしまいます。

フランスの哲学者サルトルは《人間は自由の刑に処されている》と言いました。人間は絶対的な自由を持っていることと引き換えに、常に選択に迫られ、自分が選んだその運命に責任を持たなければならない、ということです。ぼんやりと過ごしてきたのなら、ぼんやりと過ごしてきたなりの運命を引き受けなければならない、ということになるのでしょうか。なかなか厳しい意見です。

さて、大好きな映画監督の一人にクシシュトフ・キェシロフスキというポーランド出身の映画監督がいます。彼は『ふたりのベロニカ』『トリコロール』といった有名な映画の他に『デカローグ』という伝説的なテレビドラマを世に残しました。全10話1話完結のこのDVDBOXは宝物といえるくらい大事にしているもので、何度も繰り返し観ています。そして観るたびにサルトルの言葉を思い出します。

ドラマの主人公はだいたい、ある種の偶然によって引き起こされる《人生の選択》の中に身を置かれます。主人公はそのことを意識しているいないに関わらずどちらかの運命を選びとる、その先にある運命とは……、というのが一貫したテーマとしてあります。終わり方は茫洋としていて はっきりとしていません。ただ、それを選んだことに対する《責任》のようなものが、主人公の肩にのっているように見えてなりません。

普通に過ごしていると、なかなか《何かを選んでいる》という意識が働かなくなってしまいます。そしてぼんやりと日々は過ぎ、いつの間にか「もう今年も終わりですねー」と口にしている今日このごろです。

 

 

 

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バルガス・リョサ『楽園への道』

2010/11/09by GX750

バルガス・リョサが好きです!《チュンチュンチュンチュン、チュンチュンチュン…》(←晴れやかな朝の効果音)

えー、みなさんこんにちは。思わず前置きなしで「好きだ!」と叫んでしまいました。しかも最近文章が粘着的だと言われたので、爽やかさを出すために晴れやかな朝の効果音付きです。ええ、そうです、そのくらい好きなんです。バルガス・リョサ、南米ペルーの大作家です。

この名前を見てピンときましたか?そんなあなたは「日本人2人がノーベル化学賞受賞!」のニュースだけに流されず、冷静に受賞者に目を光らせた硬派な方に違いありません。そうなんです、バルガス・リョサが2010年のノーベル文学賞を受賞しました!ひゃっほーい!!《ゴロゴロゴロゴロ》(←喜びすぎて床の上を転がる効果音)

 どうしてこんなに喜ぶのか。いやー、リョサの翻訳本の数が少ないんですよ。日本では主要な作品のほとんどが絶版だったりします。そうそう、彼の小説に心底やられてしまったのは、かれこれ7〜8年前のことでしょうか。当時は「もやし」だけ食べて生活しているような貧乏な学生でした…。リョサの本を買いに神田へ出かけても、高額でなかなか手が出なかったものです。あのときは代表作『緑の家』すらも絶版でした。

ただ、無理して高いお金を払っても、やっぱり読みたいと思わせるほどの小説を彼は書いています。内容は濃密で重厚、構成は複雑かつ重層的、それなのに「語り」は恐ろしいほどのスピード感を持っています。そして特筆すべきは、リョサが書く分離した二つの世界、あのうまさ。『楽園への道』この小説はパラレルな世界を書いたものの中では、個人的には一番面白かったです。しかも、驚くべき事にリョサは60歳を超えてからこの小説を書いているんですね。まったく、どんだけ体力あるんですか、末恐ろしい人ですよ。

ノーベル賞受賞ということで、絶版になった本の復刊をこうして床の上で転がりながら待ち望んでいるわけですよ。ただいま頻繁にアマゾンをチェック中です。未読の『世界終末戦争』と『密林の語り部』が復刊して文庫化されますように……

 

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マル・ウォルドロン『マイルスの影』

2010/10/20by GX750

 

音質の良さからLPを選ぶ人がいるという話しが出ましたが、そんな上品なことは言ってられずに目の色をかえてLPを求めさまよう人々がいます。CDでは手に入らない貴重なアルバムを見つけるため、彼らは中古CD/レコード店を徘徊していたりします。その昔、まだまだ汚れを知らない青年だった私は、お皿を数える亡霊さながらにLPを探している人々を、怯えきった目で見ていたものです。今ではリュックをしょって段ボール箱に顔を突っ込み、狭いお店の通路をせき止めながら血眼でLPを探す、汚れを知らない爽やかな音楽好きになりました。

さてマル・ウォルドロンというのは60年に『レフト・アローン』というビリー・ホリデイに捧げたアルバムを録音して、ジャズ・ファンの支持を集めた人です。スター性を持ったピアニストではなかったのですが、伝説的ライブ・アルバム『アット・ザ・ファイブ・スポット』でピアノを弾いていたりします。ちなみにECMが設立されて最初に録音されたのは、マル・ウォルドロンの『フリー・アット・ラスト』というアルバムでした。

いまいちパッとしなかった彼ですが、70年代に入ってもっとパッとしなくなります。その後ECMで録音されることはなく、enjaやfreedomといった少々マイナーなフリー・ジャズ系のレーベルにこっそりと、しかし膨大な量のアルバムを残します。大好きなのは、ちょうどそのころマル・ウォルドロンなのですよ。

彼の音楽はビル・エヴァンスのちょうど対極あるように感じます。ビル・エヴァンスが横の広がりを持った明澄な音作りをしていたのに対し、マル・ウォルドロンは音をぶつ切りにして叩き出し、縦のリズムを刻みます。そのリズムがやがて崩れ始めて泥沼のような《危うさ》に引き込まれてしまう、その何とも言えない心地よさ。特に『マイルスの影』は良くできたアルバムですね。ドラムもベースも知らない人なのですが、彼のやりたかったことを理解してうまくサポートしているような印象を受けます。ちなみにスティーブ・ライヒあたりのミニマル・ミュージックが好きな人は結構気に入るかもしれません。

そういう音楽の方向性が固まったのが70年代だったわけですが、残念なことにCD化されて廃盤になっていないのは『ブラック・グローリー』というenjaの1枚だけです。あとは必死になってLPを発掘するしかないんですね。インターネットを使えばけっこう楽に手に入るのですが、何しろ高い。そして何より特価品の段ボールで目当てのものを見つけたあの瞬間のあの喜び、あのロマンを求めているわけです。

どうか、お店の隅で段ボールに顔を突っ込んでいる彼らを優しく見守ってください。そしてどんどんマニアックになるこのブログにこれからもお付き合い下さい。

 

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ノーマン・マクラレン『色彩幻想』

2010/10/07by GX750

 秋です、すがすがしい日々が続いていますね。皆様はいかがお過ごしでしょうか?こういう過ごしやすい日々が続くと、今まで何となく先のばしにしていたものに取りかかったりしますよね。

春ごろに引っ越ししてそのままだった我が家の荷物も、ようやく片付いてきました。んで、発見したのですよ、なくなったと思っていたお宝DVD!いやー、嬉しかったですね、段ボール箱の中の更によくわからない箱の中に入っていました。なかなか恥ずかしがり屋のカワイイやつです。

えー、お宝といっても別にヘンなDVDではありません。ノーマン・マクラレンの映像集です。これを買ったころは、まだまだDVDが高かったですね。今みたいな廉価版がなかったころの思い出の品です。

ノーマン・マクラレンをご存知でしょうか?カナダの国立映画局というところで、優れた作品を連発したアニメーション界の大御所です。アニメーションといっても、いわゆるジャパニメーションのように猫耳の生えた女の子は出てきません。フィルムに直接絵の具をのせたり、引っ掻いたりする技法をとり入れて、実験的な映像を数多く残しました。

中でも優れているのが『色彩幻想』という確か10分に満たないくらいの作品です。かのパブロ・ピカソがこれを観て驚嘆した、というエピソードは有名ですね。マクラレンがどういう経緯で映像作品を作るようになったのかまったく知らないのですが(調べない)おそらく、20世紀初頭の抽象画の影響を受けているようです。一言でいってしまえば、クレーやカンディンスキーが描いたような絵画が音楽に合わせて《動き》ます。

しかも、その音楽と映像とのシンクロ率が高いこと高いこと。もしこれが碇シンジ君なら、エントリープラグ内のL.C.Lと一体化してプラグスーツだけが可視化している状態です。完璧といえるほどに音楽と映像が一体化していて音楽がない無音状態、それすら映像で表現してしまいます。神がかっているとしか言いようがありません。デジタル技術を極限まで使用した最近のPV(プロモーションビデオ)も真っ青です。

ちなみに音楽はオスカー・ピーターソンが担当しています。そのあたりの音楽と抽象画、それにストーリーがどうこうじゃなく純粋に映像が好きな方は必見です(そんな人がいるのか?自分です)。最近は廉価版が出たみたいですね。こういう優れた作品がもっと身近になっていろいろな人の手に渡ってもらいたいと願います。(少々マニアックなDVDは高価なものが多い

あまりにも嬉しかったので、長くなってしまいました。それでは、秋の夜長、ノーマン・マクラレンと日本酒で一杯。

 

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ビル・エヴァンス『アンダーカレント』

2010/09/06by GX750

 えー、暑い暑いと言いながら、朝夕はずいぶんと涼しい時間が続くようになりました。少しずつ秋が近づいているようです。秋は秋らしい曲を聴きたくなりますよね。

つい先日、とある地元のスーパーでぼんやりしていると、聞き覚えのある曲が流れていました。耳をすますと、どうやらその曲はただものではなさそうです。あらら、これは……、ビル・エヴァンスとジム・ホールが演奏する『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』だったんです。手にしていた鳥のムネ肉を思わずポロリと落としてしまいました(かどうかは覚えていません)。要はそのくらい驚いたんです。

この曲、ご存知の方も多いと思いますが、インタープレイというビル・エヴァンスの概念やスタイルがギュッと凝縮された名演です。ビル・エヴァンスの雫を滴らせるようなピアノ、その音の広がりにジム・ホールの引き締まったギターの音色がぴったりと寄り添います。2人の音はやがてジャズという音楽の枠を超えて、ある種の高みへと昇華されてゆきます。これぞ音楽、それも極上の音楽です。何かの神秘的な力が2人に働きかけているとしか思えない、人間の力を超えた珠玉の名演です。

と、少々熱くなってしまいましたが、そういう曲がスーパーでなんとなくかかるようになったんですね。今やポータブルプレーヤーが普及して、好きな曲を持ち歩き、好きなときにBGMにできる時代。お店でかかる曲も変わり、音楽の形も変わりました。けれどもこういう曲は、スピーカーの前でくつろぎながら、しっとりとお酒を飲んで聴いていたいと思ったりするのです。

いえいえ、決してトンガリあたまさんに対抗しているわけではありません。音楽はいろいろな人の様々なスタイルに合わせて、欠かす事のできないものになっていきますね。秋は日本酒とこんなアルバムで。

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ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』

2010/08/18by GX750

 えー、暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?

前回に引き続き映画の話です。今回はイタリア映画。

イタリアからは数々の傑作オペラが誕生していることは皆さんご存知の通りです。そういう豊かな文化的土壌は、映画という新しい表現形式の「種」がまかれたとき、数多くの実りをもたらします。『甘い生活』『8 1/2』『夜』など、名前を挙げただけで鼻血が出そうな傑作ばかりです。

さてさて、そうした名画を撮った巨匠たちに大変な影響を与えた映画監督がいました。ロベルト・ロッセリーニです。彼は『無防備都市』という、とんでもない映画を撮りました。

『無防備都市』というとネオレアリズモの先駆的作品などといわれ、小難しい批評をよく耳にします。が、この映画の凄さはそんな理屈を超えたところにありました。

『無防備都市』の主題は戦時下における「ヒト」、そして戦争という「理不尽さ」です。うーん、重いテーマです。ところが、ロッセリーニは占領下の街で暮らす人々のどん底の生活の中に、ちゃんと笑いを盛り込むことを忘れませんでした。加えて男女が織りなすメロドラマもしっかりと描いています。戦争を描いたドラマにありがちな、くらーい「お涙ちょうだい話」にはなっていません。ひどい状況なのに、ちゃんとエンターテイメントしてる、そこが凄い。そしてそれはとてもオペラ的なものを感じます。一つのテーマの中に「笑い」も「悲しみ」も盛り込む総合芸術、オペラ。

と、いうわけでずいぶん長くなってしまいました。終戦65周年の夏にこんな映画はいかがでしょうか?

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音楽/映画紹介など

2010/07/25by GX750

はじめまして。GX750というのは愛車の名前です。

あまり書けることがないので、適当に音楽や映画の紹介などしたいと思っております。

一回目をどうしようかいろいろ考えたのですが、コレに決めました。

サイレントの傑作、「戦艦ポチョムキン」です。

ご存知の通り、エイゼンシュテイン渾身の一発です。

彼はモンタージュという手法をここで存分に発揮します。

すばらしいです。特に映画史に残るオデッサの階段のシーンは必見です。

モンタージュという手法は今では当たり前になってしまいましたが、

その文法を生み出したこの映画の功績は大きいですね。

これを観るとエイゼンシュテインがトーキーを嫌っていたのも頷けます。

何よりもまず映像で表現する、という意志の強さ。

モンタージュという技法はアラン・レネの「去年マリエンバードで」あたりで

その真価を発揮するのですが、それはまた別の話です。

エイゼンシュテインの功績は、映像に詩の要素を加えて、映像の可能性を拡張したことですね。

映像の可能性を切り開いた、映画史に残る傑作です。

映画が好きな人には是非ともご覧になって欲しい一本です。

ショットとショットのぶつかり合いが新しい意味を生み出す、という考え方は

映像の特性を考え抜いた人が到達した新たな地平、というロマンを感じます。

(彼が生み出したのかどうかは別として)

リュミエールが汽車の映像を映し出してから、20〜30年くらいで

このレベルの映画ができてしまったんですね。

映画がある種の行き詰まりを見せるのも納得できる気がします。

がんばれ、これからの映画。

 

GX750

 

 

 

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