2011年11月

秋の夜長

2011/11/22by 鼻メガネ

もう厚手のコートが無いと肌寒くてダメですね。そんなこんなで夜空はすっかり冬模様ですが、今年の秋は沢山読書をしました。中でも高野 和明の「ジェノサイド」は特に印象深かったです。某テレビ番組で紹介されてたのがきっかけで知ったのですが、実際に買ってプロローグからパラパラと読み始めたら…うん、のっけから面白い!すぐにこの本の世界観にトリップしてしまい、3日程で読み切ってしまいました。とにかく面白い!今まさに起きてもおかしくない様な内容で展開してゆくストーリー…ビビッと惹き付けられてしまいました。このような本は映画やドラマなどと違って自分のペースで読めるのが良いですね!

さて、最近のお気に入りチューンをご紹介!今回はショスタコーヴィチの「チェロ協奏曲第1番」です。プロコフィエフの「チェロとオーケストラのための交響曲」を聴いて作曲に着手したとされるこの曲の第1楽章は、2拍子と3拍子がトリッキーに組み合わさっていて自然と体がリズムをとってしまいます。冒頭から提示されるG-Fes-Ces-Bという音形は「おどけた感じの行進曲」を表したそうで、もうノリノリです!(Fesって…凄いな。マニアックな発言失礼いたしました。)

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アラン・レネ『去年マリエンバードで』

2011/11/02by GX750

 物事の始まりを皮切りと言いますね。《始めて据えるお灸は皮膚が切られるような痛みを感じる》ことからきている言葉なのだそうです。私はとある映画との出会いをきっかけとして、映画の世界に魅せられてしまいました。アラン・レネ『去年マリエンバードで』。まさに皮切り、あの映像美と不可思議な構成が織りなす衝撃に痛みすら覚えたわけです。

「ちょっとカツオ!こっちにきなさい!」「な、なんだよ姉さん、こんなに朝早く」

モンタージュという言葉をご存知でしょうか?『去年マリエンバード』の中でふんだんに盛り込まれた映画の技法です。この技法のことを知っていると、映画をもっと楽しむことができます。エイゼンシュタインやグリフィスがこの手法を大成させたことで知られていますね。この技法、ものすごく乱暴に言ってしまえば、ショット(シーン)とショットを時間や空間概念を無視して繋ぎ合わせてしまうことです。『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段シーンが最も有名でしょうか。軍隊の忍び寄る足と民衆の怯える顔、それが 交互の映し出されます。これがモンタージュです。モンタージュの発明によって、映画は全く新しい表現の地平を切り開いたのでした。(それまで映画は時間軸に沿って展開する小説や演劇の域をなかなか出ませんでした)

「あんた、お父さんの大事な鉢を割ったでしょう?」「し、知らないよ、姉さん。僕じゃないよ」

《ショットとショットのぶつかり合いが新しい意味を生み出す》そんなことを言ったのはエイゼンシュタインでした。『去年マリエンバードで』という映画はモンタージュそのものです。アラン・レネはモンタージュを見せ場の一つとしては扱わず、それによって映画を一本作り上げてしまったのです。こんな実験的なものを公開するなど現代でありえませんが、映画、音楽、小説そういうものすべてが新しいものを求めていた60年代、アヴァンギャルドなものは割と普通でした。

「ウソおっしゃい」「い、痛い、痛いよ、姉さん」「カツオ、カツオ!カツオ!!

えー、文章と文章の間にサザエさん的なやりとりが挟み込まれています。もうおわかりかと思いますが、これこそがモンタージュです。よく《意味のわからない映画》というものがあります。そういうものはモンタージュによって時間と空間がねじ曲がっているために、わかりにくくなっているものが多いです。そんなとき、「知らないのー。あれはさー、モンタージュって言って…」と友達に御託を並べると嫌われるのでやめた方がいいかもしれません。

このブログの一番はじめに『戦艦ポチョムキン』のことを書きましたが、その中でこの映画のことを臭わせる文章を書いていたので、今更ながら伏線を回収してみました。

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